不定期、短編随筆_1_3/16_「イメージと行動について」
今回、初回の随筆のテーマは、
「イメージと行動について」
最近、弟がなわとびを頑張っていて、それを見ていた父が、
「三重とびを練習するとき、二重とびから一回増やしてそうと思うと、足をまげて無理に飛ぼうとして、連続でできないけど、三回流れるように回すイメージだと、あっさり連続でできる。足の力は必要だけど。」
と言っていて、そこから、イメージが行動に与える影響をいろいろ考えてみた。
どうも、これは、なわとびだけに当てはまることではない気がする。
実際に実験してみると、勉強や作文に集中できないときでも、「三重とびをする」イメージと同じように、「集中している自分」のイメージを持つと、作業効率が上がった。(時間当たりのページ数、文字数などの増加)
読書(学習書、小説)でも、「本を早く読んで、理解している」イメージで、やはり早く頭に入ってくる。
鍛える場所を意識すると、筋トレの効果が上がるとか聞いたことがあるし、達人ほど、自分のやることを当たり前だと思っていることもあるらしい。少しずつでも、
「行動が、状態が、イメージしたものに近づいてくる」
のではないか。
これ、いろいろ応用できるんじゃね?
たとえば、当たり前のように友達と話せる人と、どうしても緊張したりして、話すのが苦手な人がいるとき、
前者の持っているイメージは、「会話は誰でも、できて当たり前」
後者の持っているイメージは、「自分はうまく会話できない」
だとする。
この後者が前者のように自然に話せるようになるとき、親や、よく話しかけてくれる友達と話して、徐々に「自分はうまく会話できる」イメージを強くしたことで、うまく話せるようになっていると考えてみる。
こう考えると、後者が、自己暗示をして「自分はうまく会話できる」イメージをもったり、「こういう話ならこうする」と、自分がうまく会話できているところのイメージトレーニングを行ったりすれば、行動が少しずつイメージに引っ張られ、人に頼らなくても、うまく話せるようになるのではないか。
「授業内容がしっかり記憶される」イメージを持てば、さらに効率よく学校の授業を吸収することができるようになるのでは。
「ミスをしない」イメージで、注意力を上げられるのでは。
目の前の落とし物を拾う勇気がないとき、「当たり前だ」というイメージを持つことができれば、当たり前のことに勇気はいらないし、すぐに目の前の人を助けられるのでは。
「よく寝れている」イメージで、快適な睡眠が得られるのでは。
新しい習慣をイメージして、今までの望まない習慣を断ち切ることで、前よりも多くの幸せを手にすることができるのでは。
うん。とにかくいろいろ使い方が思いつく。悪用厳禁だな。
イメージは、いい方向に使えると、ものすごく心強い味方だと思った。
自分で書いたけど、なんだこの絵...
もっとうまく絵を描くイメージを持とうかな?